長野県立科町へ 旅する移住

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一人多役インタビュー

環境経営アドバイザー×町会議員

お話を聞いた人
今井 英昭さん

今井 英昭(いまい ひであき)

1977年生まれ/長野県立科町出身

2013年まで 東京の環境経営コンサルティング社・海外商社にて、企業の環境負荷を減らす活動の後方支援業務に従事していた今井さん。取引先企業へCO₂削減の企画を提案し、その企業の社会的責任を果たすためのプロジェクトに関わり、充実した東京生活を送っていましたが急遽Uターン移住をすることに…。勤め先はそれまでと変わらず、平日は東京をはじめとする県外の取引先との仕事、休日は立科で過ごす週末限定の地方生活がスタートしました。

予定にはなかったUターン、就いた仕事は…?

今までの生活に区切りをつけるの大変でしたよね。

「家を継ぐために家族とともに地元立科町に戻って、ここで何をすべきか悩みました。子育てのこと、老後のこと、仕事のこと。まずは自分の半径数メートルで、どうすれば住みよいまちになるんだろうか考えました。企業としてまちづくりに関わる方法もありますが、Uターンをして2年経った2015年、町政に対しダイレクトに声を届けるため、町議会議員に立候補し当選。環境分野の専門性を活かし、現在は企業誘致に力を入れています。

環境経営アドバイザーの立場から、地域資源の本質についてずいぶん考えました。受け継がれた里山風景を単純に“きれいなまま残そう”ではなく、その土地の特性を活かしながら、必要とされる地域として持続させるにはどうしたらいいのだろう。どうしたらこの町に住む人たちの生活に紐づけられるだろうと考えるようになりました。」

どのようなまちづくりを目指しているのですか?

「きれいな里山はここでなくてもたくさんあります。実現しようとしているのは、立科町の気候や立地を求める企業との協働です。このプロジェクトは、産業に携わる人たち、将来の担い手、今までだったらあまりなかった人口移動が実現する可能性を秘めています。

今では当たり前のように使われているシステムは、20年前だったら空想の域を出ませんでした。ものすごいスピードで技術革新が進んでいることを実感する今、まずは自らの半径5メートルの世界から、自分たちの力で創造するプロジェクトにむけて取り組んでいます。できることならば、これからの世代の人たちにも一緒に考え、共に取り組んでほしいと思います。」

ボーイスカウトの精神に通じるもの

子どもとのかかわり方について教えてください。

「世界中の子どもたちの活動として長い歴史を持つボーイスカウト(1907~)ですが、170の国や地域に広がる世界最大級の青少年運動として100年以上続いています。日本では1922年に「少年団日本連盟」が創立しました。

長野県の東信地区事務局長を務める傍ら、私の子どもも所属する立科第一団でスカウトたちの成長を見守っています。子育てする中で大切にしているのは、ボーイスカウトの理念と同じく、
“自主性”
“協調性”
“社会性” の成長です。
この先何が起こるかわからない時代だからこそ、日ごろから備えようという考え方を大事にしています。

余談ですが、ボーイスカウトの仲間たちは今や世界各地に4000万人もいます。やがて大人になって仕事に就いた時、遠く離れた国のスカウトと巡り合うかもしれません。日々の活動で“子どもだけの社会”の中、仲間たちと協力して課題をクリアしていく過程を楽しんでほしいと思います。」

家族間の決め事

移り住んだことを振り返ってどうですか?

「前にも話したように、私の人生設計にはUターンは組み込まれていませんでした。Uターンが決まると、わずか4か月足らずで所有していた不動産の整理を終えて帰郷しました。住み慣れた東京での暮らしの中、どこかご先祖を無視できない“古風な人間”だなと感じたものです。

一方で、長年住み慣れた東京も、妻や子ども達にとっては“故郷”であり、私たちにとって大事な場所ですので、月に一度、もう一つの里帰りの時間を大切にしています。」

最後に

この記事を読んでくれた方へメッセージをお願いします。

「Uターンを機にこれまでの生活が途切れてしまうのは残念ではありましたが、経験値が0になるわけではないと考えています。目下“まちづくり”という目標にむかって、町議会議員の立場にありますが、これがずっと続くとは思っていません。いつか全く違う業種に就くことがあれば、今まで気づかなかったものの見方ができるかもしれないという興味があります。機会があれば挑戦していきたいですね。」